【博士学位論文】
題名:
「屈辱感の心理的影響及び喚起要因に関する検討」
薊 理津子

要旨:
本論文では、屈辱感の心理的影響と喚起要因について検討を行った。屈辱感は社会的苦境場面において生じる自己意識感情であり、社会的苦境状況において自己に注目する特徴を持つ。本邦において、屈辱感が攻撃行動を促し、他者によっておとしめられるときに生じるとする知見があるが、研究数は少なく、研究内容も不十分である。また、屈辱感の記述が多少なりとも見られる恥の研究では、恥概念の中で屈辱感の明確な位置づけが行われていない。

また、欧米では、日本語の屈辱感に相当する感情の研究は、「humiliation」や「shame」をキーワードとして行われている。それらの研究では、humiliationは社会からの孤立を促し、人間を個人内と社会との両側面において不適応にさせることが示されている。また、shame(humiliation)とguiltは対比的な位置関係にあり、shame(humiliation)は不適応的で、guiltは適応的感情であることが見出されているが、humiliationとshameの喚起要因を検討した研究は少ない。だが、これらの研究では、humiliationとshameの概念が混同されて研究が進められていることがほとんどである。

以上の知見に基づき、本論文の第1の目的は、屈辱感と他の類似感情とを整理し、屈辱感の概念的位置づけを行うことである。第2の目的は、屈辱感の心理的影響について罪悪感と対比をしながら検討することである。最後に、第3の目的は、屈辱感を喚起する要因を検討することである。

これら3つの目的の下、本論文では7つの研究が行われた。まず、研究1と研究2で、恥概念の整理を行い屈辱感の位置づけを行った。恥と罪悪感に類する複数の感情について因子分析を行ったところ、屈辱感、羞恥感、罪悪感の3つの因子が見出された。そして、クラスター分析を行ったところ、大きくは恥のクラスターと罪悪感のクラスターに分かれ、そして恥クラスターは屈辱感のクラスターと羞恥感のクラスターに分かれた。

そして、研究1、研究2、研究3、研究6において、上述の3つの自己意識感情の心理的影響を検討した。罪悪感は、内的な原因帰属を促し、関係性の修復、身体感覚、規範逸脱意識、基準への未到達意識を促進する一方で、正当化と攻撃性を抑制する。つまり、罪悪感を感じた個人は、自他の基準を達成できない原因、または、逸脱行動の原因を自己に帰属する。そのために、他者への攻撃性は抑制され、修復行動を促進する。このように、罪悪感は、社会的苦境状況において危機に陥った人間関係を修復し、さらには強固にする働きを持つ。ゆえに、罪悪感は社会的に適応的に働く感情といえよう。

次に、羞恥感は身体感覚と否定的評価懸念を促進することが示された。つまり、羞恥感を感じると、「発汗した」や「心拍が早くなった」などの身体感覚が瞬時に生じ、他者や周囲から否定的に評価される懸念が高まる。しかし、羞恥感はその後の行動を適応的反応もしくは不適応的反応へと動機付けるわけではなく、単に、自己の危機的状態の自覚を強める作用があるものと考えられる。

そして、屈辱感は、外的な原因帰属を行い、正当化、攻撃性、否定的評価懸念、身体感覚、規範逸脱意識、基準への未到達意識を促し、関係性の修復を抑制する。つまり、社会的苦境場面におかれたときに、屈辱感を感じると、自他の基準に到達していないという意識を持つので、他者からの否定的評価を懸念する。そして、自身が苦境場面に置かれた原因を、自身ではなく他者へ帰属する。したがって、屈辱感を感じた個人は、他者との関係性を修復しようとはせず、自身の正当性を主張し、他者を罰したいと考えられる。

研究1、研究3、研究4、研究5、研究6、研究7において、3つの自己意識感情の喚起要因について検討を行った。まず、状況要因(研究3と研究4)について見てゆくと、叱責者が自分にとってどのような人物であるかが、3つの自己意識感情を分ける要因になっていることが見出された。罪悪感は叱責者が「好かれたい相手」である場合、すなわち、重要な他者との友好関係や人間的絆が脅威に晒された時に喚起されやすいといえる。また、羞恥感は「機嫌を損ねたくない相手」から叱責された場合に、そして、屈辱感は「嫌いな相手」から批判された場合にそれぞれ高まることが示された。前者はいわば関係を失うと、もろもろの利益が失われるケースであるのに対して、後者は自身の立場や自尊心が脅威を受ける場合であると考えられる。

また、認知的要因(研究4と研究5)としては、批判の対象と批判の基準が自己意識感情と深くかかわっていることが示された。批判の対象とは自己の何が批判されたのかという認知を意味する。罪悪感はコントロール可能な自己の「失敗(行為)」への批判、屈辱感はコントロールが難しい「能力」や「人格」への批判から生じることが分かった。一方の批判の基準とは、どのような価値基準によって自己が批判されているかの問題である。罪悪感は広く社会一般の人々に迷惑をかけたという「道徳的基準」や、特定の人物に無用な負担をかけたという「世話基準」による評価から生じるのに対し、屈辱感は社会的地位を貶められたという「優劣基準」によって高まることが示された。

また、研究6では、自尊心の脆弱さが屈辱感の喚起を強く促し、逆に、誇大的な自尊心を維持できている人は、屈辱感を感じないことが見出された。それに対して、評価過敏性が屈辱感の喚起にもっとも大きな影響を示した。そして、自己愛は直接反応を生じさせず、屈辱感が自己愛と反応との間を媒介することが見出された。この結果から、先行研究で指摘されている自己愛者の問題とされる攻撃性は、屈辱感の問題としても考えていく必要があるだろう。

最後の研究7では、屈辱感が生じる状況に焦点をしぼり検討した結果、屈辱感が生じる状況は、「劣位者としての扱い」「失態・見られたくない姿の露出」「敗北・能力の低さの自覚」「裏切り」「批判・叱責」「大切にしている人・モノ・考え・信念への侮辱や否定、傷つけ、不理解」「責任転嫁・理不尽的批判」「追放・孤立」の8つの状況が見出された。この中で、先行研究においても指摘されることが多い「劣位者としての扱い」が最も報告された。

以上の結果から、次のことが導き出される。まず、羞恥感は「気づき」の機能である。先述したとおり、羞恥感は自身が否定的評価を受け、社会的排斥の危機に瀕していることを自身に警告する。いわば、社会生活における早期警戒システムであるが、その状況にどう対応すべきかに関してはいわば中立的である。

これに対して、罪悪感と屈辱感は危機に対する対処行動を動機づける役割を担っている。自己の何が脅かされるのかによって、どちらの感情が喚起されるかが左右される。危機にさらされているのが、他者との交友関係や絆といった、いわば「横」の関係である場合、罪悪感が生じる。そして、この状況を改善するため、関係修復反応を促進する。これに対して、自己の社会的地位や優位性など、「縦」の関係が脅かされる時に屈辱感は生じる。自己の優位性を回復するため、自己のステータスを低下させた“元凶”に闘争を挑み、服従させようと試みる。

最後に、本論文ではこれまで指摘されてこなかった屈辱感について、本邦と欧米の研究をレビューして、社会的適応という視点から研究を行った。まず、屈辱感を類似感情の中での位置づけを明確にした。そして、不適応的影響は恥一般ではなく屈辱感の問題として議論する必要があることについて、社会的適応という側面から実証的に明確にした。本論で示された屈辱感の心理的影響は、humiliationの持つ心理的影響とほぼ類似していた。つまり、humiliation、屈辱感はともに攻撃的行動を促し、対人関係の修復反応に抑制的に働くので、自己の優越性の回復は得られても、対人関係を破壊して、自己の社会的立場を喪失するという共通性が得られた。このような点から考えると、言語や文化を超えて屈辱感の心理的機能についての普遍性が認められると言えよう。そして、本論文では社会的苦境場面において生じる自己意識感情である屈辱感のモデルを示した。社会的苦境場面において社会不適応的に働く屈辱感だが、人間の社会的な地位や尊厳を維持するために生じる感情であることが見出された。

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