題名:
「中国の一般大学の音楽教育における少数民族文化の理解 ―納西族の音楽文化を用いた教材開発―」
楊 禾

要旨:
本論文は、中国「国内の56民族の共生」を目指した少数民族音楽教育に関する研究である。

20世紀後半、国際交流がますます盛んになり多民族・多文化共生社会の問題が顕著化する中で、音楽教育においても多文化音楽教育が世界的に注目されてきた。55の少数民族を有する中国は元来多民族国家であり、現在も全国規模での人の移住や移動が活発になっているため、各民族相互の理解や協力がいっそう強く求められている。現在、少数民族の文化的アイデンティティの保障、中国人としての国民的自覚の向上、また漢民族と少数民族及び各少数民族間の理解など、中国では新たな教育課題が提起されている。しかし、学校音楽教育の現場では、西洋音楽中心主義、大多数を占める漢民族の古典音楽の偏重の傾向が強く、少数民族音楽に十分関心が向けられてきたとは言えない。

本論文の目的は、1)中国の一般大学における少数民族文化理解のための音楽教育に関して、その教育理念、教育目標、教育内容などを設定すること、2)絶えず変化する少数民族の音楽文化の動態を社会的・文化的な脈絡の中で捉えるアプローチを提唱すること、3)視聴覚資料を用いた実際の教材例を提供することである。

本論文では、多文化音楽教育の国際的動向を考察し、諸外国の教育研究と実践から得られる示唆に基づいて、文化理解を目標とした中国の少数民族音楽教育の内容や指導法を示した。また、新たな観点による指導法を提唱し、絶えず変化する少数民族の音楽文化の動態を社会的・文化的な脈絡の中で捉え、納西族の音楽文化をとりあげて少数民族の音楽授業例を設計した。更に、三ヶ月以上の実地調査に基づいた写真、楽譜、視聴覚資料などを論文に添付した。 この研究により、多民族・多文化国家である中国の現代社会において「共生」という課題を重視した音楽教育に貢献することを目指した。
本論文は、序章と終章を含め、全8章によって構成されている。
序章では、問題意識と研究課題、研究の目的、先行研究、用語の概念範囲、研究の方法、論文の構成について述べた。

第一章は、まず、中国の多民族状況と、「民族平等」「民族団結」の国家方針について述べ、中国現代社会における少数民族理解教育の必要性を示した。次にそのような教育の4つの利点、すなわち、1)各民族の平和的共生の促進、2)文化的アイデンティや国民的自覚の涵養、3)音楽教材の内容の充実、4)少数民族音文化の伝承、について述べ、少数民族文化理解のための音楽教育の重要性を論じた。そして時代と国に対応していない中国少数民族音楽教育の現状を指摘した上でその解決のための課題を挙げた。

第二章は、中国の現行の音楽課程標準(学習指導要領)、一般大学の音楽鑑賞教育の指導方針や教科書、および実際の音楽授業に焦点を当て、少数民族の音楽文化がどのように位置づけられ、どのように扱われているのかを分析した。それによって少数民族音楽教育の現状を考察し、問題点及びその原因を明らかにした。

第三章は、「多民族国家」のアメリカと「多文化化」していく国、日本を主にとりあげて、「共生」に向けた多文化音楽教育の歴史的変遷と現状、及び動向について分析して考察した。更に英国、ドイツ、マレーシア、台湾など、諸外国の多文化音楽教育についても調べ、そこから得られる示唆を、中国の実情に即して検討し、中国の一般大学における少数民族文化理のために必要な音楽教育の課題を挙げた。

第四章は、まず中国の一般大学に少数民族文化理解のための音楽教育を導入するにあたってその実践の可能性を論じた。そして、筆者による新たな教育理念や教育目標などを設定した。それに基づいて、多民族・多文化社会に相応しい新たな観点による教材開発を提唱し、教育内容と指導法を提示した。

第五章は、これまで中国の音楽教育で扱われてこなかった納西族の音楽文化を用いた教材開発を目的として、実地調査で行った音楽・舞踊上演場面の観察・参与、文献調査、資料収集、音声と映像記録、インタビュー、伝習などに基づき、納西族音楽を、東巴(トンパ)音楽、民謡、舞踊、楽器、白沙細(バイサシ)楽(ユェ)、洞(ドウ)経(ジン)音楽に分類して示した。納西族の音楽の場面を音楽教育者としての視点で撮影した多数の写真を用いて音楽文化を多角的に提示した。

第六章は、一般大学における少数民族文化理解のための音楽教育の新たな理念や目標に基づいて、第四章で提唱した指導観点によって、納西族の音楽文化を取り上げて、その歌謡、舞踊、楽器の授業設計を提示した。ここで、音楽の時代的・地域的変遷また社会的機能の転換に注目し、絶えず変化する納西族の音楽文化の動態を社会的・文化的な脈絡の中で捉え、納西族内の異なる民族集団の音楽も無視せず、バランスをもって偏りのない教材作りを目指した。また、鑑賞、体験、調査観察・検討の学習活動を通して、納西族の音楽に触れるとともに、納西族の社会的・歴史的・文化的背景を知り、納西族の人々を理解することを題材設定とした。
終章では、論文全体のまとめ、本研究の意義と成果、納西族音楽文化の指導案を用いた授業の効果、今後の課題について述べた。
論文の付録には、教材のサンプルとして、納西族の民謡、舞踊、楽器の音と映像、計22点を含むDVDとCDを添付している。

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