聖心女子大学の奥行きを知る
研究者として横顔をご紹介するとともに、研究の意義や楽しさを語ってもらいました。聖心女子大学の魅力をより深く知るために役立てていただきたいと願っています。
研究テーマ | : | 哲学的美学の基礎づけ |
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著書 | : | 『Begriff und Verfahren der eidetischen Anschauung bei Goethe』北泉社(1995年) 『美への思索』かまくら春秋社 |
徒歩旅行
あるところまで歩いていって、電車で帰ってくる。次はその時点から歩き始めて、また電車で戻る。それほど遠くまで行かずにボーっと歩くだけでもいい。何のために?とあえて訊かないでほしい。
「哲学は、学問ではありません」と、哲学科の教授らしからぬ?意外なことを語るのは、美学が専門の加藤好光先生。「もちろん、カント研究とかヘーゲル研究とか、哲学の分野で学問をすることはできます。けれども、本来、方法が確立していない学問は『学問』とは言わないんです。哲学とは何か?と問うた時に、『哲学とはフィロソフィア(知を愛すること)である』と答える場合がありますが、それは語源の説明であり、歴史的な説明です。もしくは『哲学においてはしかじかの問題が考察されてきた』と、主題に基づいた説明がされます。いずれも哲学の説明になっていません。哲学と他の学問との決定的な違いは、たとえば心理学とは何かと問う時に、心理学的に説明しませんし、物理学でも同様ですね。しかし哲学は、自らが何であるかということを哲学的に説明しなければならないと私は考えています。自分で自分を規定しなければならないのです。そこで哲学では、方法を模索すること自体が方法となります。哲学だけではなく、芸術制作も人生も、方法が確立していないもの。真剣に取り組むなら、どのように制作すべきか、如何に生きるべきか、途(方法)を求めつつ制作し生きていくことが必要ですよね」
南山大学でドイツ文学を学び、20歳の時に1年間ドイツに留学。東京大学の修士課程で美学研究の道に進み、その後再び、ドイツのケルン大学に4年間留学した。博士論文の内容から言えば専門はゲーテ研究ということになるが、ドイツ文学から美学へと専門をシフトしたのは「狭い意味での学術的研究ではなく、哲学的な思索をしていくことの方が性に合っていた」からという。現在はゼミや授業を担当しながら、年1本のペースで思索を論文としてまとめている。哲学的美学の根拠づけを目指す思索のテーマは「美と芸術の思索としての美学はいかにして可能か」。思索は全部で12章から成り、これまでに「美への思索」に関する論文6篇、「芸術への思索」に関する論文5篇を執筆、今夏には最終章を書く予定だ。
授業で使用するビートルズの資料
哲学的思索といっても、年中難しいことを考えているわけではないらしい。「むしろ思索のヒントは日々の生活の中にあります。何をやっていてもつながっていくんです」。
今は、意図して哲学書の通読から離れている。最近読んだ本も、漫画『めぞん一刻』から池田潔著『自由と規律―イギリスの学校生活』まで多種多様。いずれも繰り返し何度も読んでいるものだ。「繰り返しの講読に耐えないものには関心がない」という。
聖心の全学共通の総合現代教養科目では、「ビートルズの詩と音楽」を担当している。「学生に訴えたいのは、おざなりの仕事をせず、よりよいものを常に求めていくこと。ビートルズも、手っ取り早く稼ぐだけなら耳ざわりのいい音楽をずっと作っていればよかったかもしれない。けれど彼らは、コンサートをしていた頃から前のレコードと同じことをしていないんですよ」
ゼミでは、論語の素読を組み入れ、それをもとに学生にフリーディスカッションをさせる。「論語は、江戸時代の儒者、伊藤仁斎が『最上至極、宇宙第一の書』と評したように、特別な書物。自分の2人の息子にも小学校を卒業するまで素読させていました。これから世界をまたにかけて活躍しようという若い人は、ぜひ古典の素養を持ってほしい。とくに自分が住んでいる文化圏の古典を知ることはとても大事です」 残念に思っているのは、ゼミでのフリーディスカッションが活発さに欠けること。もっと自由に、時事問題をからめるなどして議論してほしい、指名してプレゼンする機会を与えればよいのだろうが…と思いながら学生の自発性を尊重している。「ビートルズも論語も、繰り返しの観賞に耐え、本物として残ったもの。ニセモノではないホンモノ、高いもの、深いものに対する憧れをもち、知的センスを磨いてほしい。私の役割はそうしたものに開眼するのを助けることで、その後は学生たち本人の歩み次第ですね」
「一般的に哲学が難しいというのは、他の学問では解明・説明できないことを扱っているから。今は、わかりやすさが求められている時代ですが、ちょっと危険だと思います。森羅万象が人間の頭の都合に合わせてできているわけではないですから」
直接的な利益に結びつくかどうかわからないこと、実際役に立たないことでも、学ぶに値することがある。それを伝えることが文学部の役割でもあり、やはり1年生と4年生では、たんに知識の量だけでなく、物事の捉え方が違ってくる、と感じている。
加藤先生自身が、哲学の醍醐味を最も感じるのは、「ある哲学的認識が開かれた時」だが、時間に追われていてはそれも望めない。「ひとつのことを多角的に見て、じっくり考えるには、ヒマがないと。だから学生たちにもヒマな時間をもって、自由に遊んでほしい。時間を忘れて夢中になれる活動を楽しんでほしいと思っています。卒業後どこかに就職するにしても、時間をたっぷり使って好きなことができ、物事を考えられる4年間はとても貴重な財産になると思います」