聖心女子大学の奥行きを知る
研究者として横顔をご紹介するとともに、研究の意義や楽しさを語ってもらいました。聖心女子大学の魅力をより深く知るために役立てていただきたいと願っています。
研究テーマ | : | 古代中国哲学 |
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『荘子』
写真:荘子 第1冊 内篇(岩波文庫)
翻訳:金谷 治
出版社:岩波書店
分析的な知の方向に対し、真っ向から否定する別の知のあり方を示した書。紀元前の中国にも存在したこうした思想家たちと直接対話するのはいかがでしょうか。
ブラジル・ロシア・インドとともに急速な経済発展を続ける「BRICs」を形成し、その巨大な市場と労働力、そして資源に世界中が注目している中国。もちろん、日本にとっては歴史的に多くの文化的影響を受けてきた国であり、同じアジアの先進国として強いパートナーシップが期待される国でもある。近年ではそうした風潮を背景に、中国語や中国文化、政治・経済などに関心を持つ学生も増えているようだが、その一方で、まだまだ理解が浅い面があることも否定できないだろう。何と言っても中国との国交正常化は1972 年のことで、まだ40年も経っていないごく短い付き合いと言えるのだ。
「文化大革命が終わったのもほんの30年余り前ですし、確かに日本人の多くは中国の一面しか知りません。高度経済成長を遂げている最近の中国と“悠久の歴史”が象徴する古い中国。この2つのイメージがあまりに強い気がしますね」というのは、中国古代の哲学や思想を研究対象にしている久保田知敏先生。1980年代半ば、文化大革命が終わったばかりの中国へ2年間の国費留学を果たした、言わば“開かれた中国”を最初に見てまわった研究者である。
「1976年に文化大革命が終わり、その後2年間だけ、それまでの10年間に大学で学べなかった人々の入学が許可されました。文革の陰で必死に勉強していた10年分の学生たちが大学に殺到しました。彼らが大学院生となっていた時期が私の留学期間と重なり、本当にいろいろな年齢の様々な経歴を持った大学院生と交流できました。また新疆やチベット、ラオス国境近くまで、とにかく行けるところは全て行ってきました。それが今、中国の思想・哲学を研究する上で大きな財産になっています」。
今でこそ気軽に「中国へ行ってきた」と言える時代だが、少なくとも1970年代に大学生活を送った学生にとって「中国旅行」はかなりリアリティのない言葉だ。久保田先生は非常に貴重な経験をしたと言えるだろう。「それでも私たちが持っている中国に関する知識と情報はまだまだ少ない。だからこそ研究対象として面白いのは確かですね」。
そもそも久保田先生が中国の古代哲学に興味を持つきっかけは中学・高校時代に出会った老子や荘子、いわゆる「老荘思想」への関心だという。「哲学にはもともと興味がありました。時代的に地球環境問題(当時は公害問題といいましたが)など、西洋近代化の行き詰まりを感じさせる事柄も多く、現代の問題を解決しうる思想を模索するうちにいきあたったのが老荘思想だったんですね。結局、将来はどうするかなど全く考えないまま、哲学をやるために文学部へ進学しました。文学部へ行くこと自体変人視されました」。
早熟で相当変わった“中国哲学少年”は、一体なぜ中国の古代思想に心惹かれたのか。久保田先生はこう振り返る。「西洋哲学を知り尽くして中国哲学を選んだ、というわけではもちろんなくて、やはり深い理解と共感を得たのは留学してからですね。実は1980年代から、中国では大がかりな史跡の盗掘が相次ぎ、国宝級の出土品が香港などにどんどん流出していました。もちろん文献資料のみを対象にする私自身の研究スタイルに変化はありませんが、実際に当時の物を手にし、現地を歩きまわったことにより、文献理解に少しは厚みを加えることができたと思っています。それも研究に対するモチベーションにつながった気がします」。考えてみれば、マルクス・アウレリウスやソクラテス、プラトンといった西洋の哲学者についてはもっぱら世界史の授業、しかも文化の中で名前を覚える程度で、西洋哲学を学ぶ機会はほとんどない。だが、老子や荘子、荀子、孟子などは古文・漢文の授業でその内容に多少なりとも触れることができる。「そうですね。そのあたりをきっかけに中国の古代思想、古代哲学に関心を持ってもらえたらいいと思います」。
久保田先生によると、老荘思想にせよ、孔子の儒学にせよ、中国の古代思想はその時代の政治状況に深く関わっている。良くも悪くも為政に用いられることが多い、実践的な側面を持つ思想と言えるだろう。「たとえば荀子は性悪説を唱えたことで知られていますが、これは本来、人間は性(その本性)として群(社会)を作る生き物であり、そしてまたその社会は、自然な状態にしておくと、つまり個々人がその欲望を最大限に実現しようとすると、必然的に乱(混乱状態)に陥る、それが悪であるという意味です。こうした思索はその時代の政治状況と密接に結びき、その問題の解決を示した、ある意味“現実に役立つ哲学”です。儒学の祖である孔子も、最近は伝統文化として重用されていますが、文化大革命では徹底的に排除された思想です。そういう政治状況と不可分な側面を持つことも中国哲学の魅力の一つかも知れませんね」。
久保田先生にとって、その時代の政治や社会の動向によりさまざまな扱いを受けてきた中国哲学は、学生時代からのライフワークとも言える研究対象だ。そしてもう一つ、国際交流専攻のゼミナールとして掲げる主題は、経済や文化を含めたトータルな中国理解なのだろう。「中国では今、急速な都市開発に伴って次々と新しい遺跡や埋蔵品が出土されています。もともと中国は首都・北京でも解放前の建造物が使われていたりするほどで、これまで知られていない史跡や文化財がこれからもまだまだ出てくるでしょう。古代の思想や哲学研究に大きな影響をもたらす発見がこれからも続くことは確実です。そういう意味での関心も持ち続けて頂きたいですし、何より、日本を映す西洋とは違う鏡として中国文化をとらえ、正しい距離感でつきあっていく道を切り拓いてもらいたいと思います」。3年ゼミや国際交流の授業では必ず中国・台湾からの留学生を招き、身近な国際交流を体験させる久保田先生。台湾との交換留学も始まり、その役割はますます重要度を増しそうだ。