他者と共有することで向上する学び

聖⼼⼥⼦⼤学は、個⼈で学びのレベルを⾼めるというよりも、他者と共有することで学びが向上していく環境だと感じています。1年次は多岐にわたる分野を学べるチャンスととらえ、哲学科以外の開講科⽬も幅広く履修しました。
⽇本語⽇本⽂学科の近代⽂学の講義では、漠然と感じていたことを言語化する手法や、物語の構成の分析、エピグラフ(本の冒頭に置く引用文)の効用など、⽂学研究には多様なアプローチ⽅法があることを学びました。このような分析的な読解⽅法は、その後の卒業論文の執筆にも役立ちました。また、専攻学科では出会えなかったであろう友⼈と親睦を深める稀有な機会でもありました。
もうひとつ1年次に受けて印象に残っている授業に、「科学史」があります。⾼校までの科学は理論が中⼼ですが、この授業では、歴史学的、社会学的、⽂化的観点からの考察を主眼としています。人間の生活に直結する科学技術の問題を、良い面悪い面両方から考察することで、科学の在り方を批判的に見る視点を養いました。また、科学はもともと哲学の一分野であり、リンクする点が非常に多いということも興味深い発⾒でした。わかりやすい例を挙げると、なぜ林檎が落ちるのか、というのは純粋な知的好奇心(哲学)ですが、そこからニュートンは「万有引⼒の法則」(科学)を導きだしました。学問は実は有機的につながっていて、別物と思われる点と点が自分の中でつながっていく⾯⽩さを、この授業で実感しました。
固定観念を打ち破って思考することが大切
哲学の学びは、「あなたはどう考えますか」から始まり、最後も「あなたはどう考えますか」で終わるものが多いように思います。絶対的解答のない問いに対して、他者との対話を通じて答えを模索し、最善の答えを⽣み出すよう思考をつづけます。
例えば、哲学・倫理学特講の授業では、ひとつの問いに対して「サイレント・ダイアローグ」という⼿法を⽤いて複数⼈で考察を深めます。匿名で⼀⼈が出す哲学的な問いに、他の学⽣が考察していくというものです。⾃分と他者との考えの違いを知ることで、⾃分のなかの固定観念を打ち破って思考することの⼤切さを知ることができ、物事を複眼的に捉え俯瞰して考えられるようになったと思います。
哲学科は、学科の初年次からテーマを⾃由に選ぶことができ、また必修授業がほとんどないため、⾃分の興味関⼼にそって履修することができました。そのため能動的な学修につながり、⾃分の研究テーマがおのずと深まっていく実感があります。
美学・芸術学の授業では、⺠藝運動の⽗と⾔われる柳宗悦のテキストを⽤いて、⽇本と⻄洋の芸術観の⽐較や⽇本的な美意識の問題について考察しました。感じたのは、写実的であることが評価される⻄洋と余⽩を⼤切にする⽇本の違いです。柳宗悦は、⽇⽤品とみなされ評価の低かった⺠藝作品に温かみのある⽣活美を⾒出し、後世にその価値を伝えました。この授業をきっかけに日本の美意識に関心の的が定まり、日本思想の講義を複数履修するようになりました。
また、他の授業で学んだことが、別の授業のトピックにつながることも多いと感じます。ある哲学・倫理学特講で、他者を自分とは絶対的に異なる他としてみなし、だからこそ対話が可能になると主張したレヴィナスの思想を学びました。
この学びが、ケアについて考える別の授業で、なぜケアする側がケアされる側の考えを決めつけ、判断すべきではないのかという問いの根拠と結びつき、理解を深めることができました。こうして点と点がつながり、線になる経験を繰り返すことで、⾃分の思考の奥⾏が広がったと感じています。
自分のなかに疑問を持つことで新たな自分に出会うことが出来る
サークル活動は、1年次から能楽研究会に所属していますが、プロモーションの⼀環で、⼈間国宝の⼤倉源次郎先⽣にお越しいただいたことがありました。その際、「能において何を⾯⽩いと感じ、何を⾯⽩くないと感じるのか、⾃分のなかに疑問を持つことで、新しい⾃分に出会って欲しい」と仰いました。これは哲学においても同じだと考えます。⾃分の固定観念を解き放ち、新たな思想を知るたび⾃分のなかの思索の扉が開く感覚があり、「知る」ことで新たな⾃分に出会うことの喜びを感じることができました。また伝統芸能と哲学には「問」という共通項があります。どちらも問いを立て続けることによって学び続けられるものであり、自分の可能性の広がりを感じます。
能楽研究会や、学科での学びを通じて、⽇本人の美徳、美意識について考察を深めたいと思い、卒業論文は、江⼾時代の武⼠道精神について書かれた書である『葉隠』と、三島由紀夫『葉隠⼊⾨』の⽐較から、三島の考える⽇本的な美意識について論じました。
哲学科での学びは、⾃分の興味を深く追求していく縦の線と、幅広く多⾓的に学べる横の線がどこまでも広がる無限の世界です。
哲学は決してそれ単体では実学として役⽴つものではないかもしれません。しかし、実社会のなかでは、⾃由な思考と独創⼒が求められることも多く、「絶対を疑う」哲学的思考が有用だと考えています。これからも答えのない問いに対して、最善の答えを考えを模索し、導きだしていきたいと思います。

- 哲学科
※所属・肩書きを含む記事内容は、インタビュー当時(2024年)のものです。